東日本大震災追悼式

 
各地で地震発生から1年の2012年3月11日午後2時46分に黙祷が行われ、数々の追悼の言葉が寄せられました。
遺族の言葉をいくつかをまとめて掲載します。
 

川口博美さん 岩手県の遺族代表
政府主催の「東日本大震災1周年追悼式」
 
「この世には神も仏も存在しないものだと、今もあのときを思い出すと涙があふれてしまいます」

「ただ、悲しんでばかりもいられません。私たち遺族の周りには、前を向いて、復興に向けて協力してくれる仲間がいます」

津波は自宅を押し流し、母と妻、4歳の誕生日を迎えたばかりだった孫、翔也(しょうや)ちゃんを奪った。集落の1割に当たる90人以上が亡くなり、42人が行方不明のままだ。
「犠牲となられた皆さまの悔しさと無念さ、残された家族の悲しみを思うと言葉になりません」

「この震災の教訓を風化させることなく、後世に語り継いでいきます。時間はかかると思いますが、一歩ずつふるさとの復興に向け、邁進(まいしん)することを御霊(みたま)にお誓いいたします」
追悼文を読み終え、口を真一文字に結んで、静かに手を合わせた。
 

「神も仏も存在しない」 岩手県代表の川口博美さん 政府追悼式 産経新聞
 
 

奥田江利子さん 宮城県の遺族代表
政府主催の「東日本大震災1周年追悼式」
 
避難所から100メートルの自宅のあった場所近くで息子は見つかりました。一緒にいたはずの娘は家族の一番最後、1カ月後にやっと見つかりました。
妹をその腕の中で守っていたかのように手を組んで水たまりに横たわっていました。「おかあ、俺なりに頑張った」。そう言っているようで、「おまえ頑張ったな。偉いぞ。みんなと一緒にいてやったんだよね」。何度もそう話しかけました。

見渡す限りの惨状に地獄はここだと思いました。
受け止めがたい現実、やり場のない怒りと悲しみ、そして限りのない絶望。
最愛の人を失ったというのに自分が生きているという悲しみ。「生きることがつらい」。そう思う申し訳ない気持ち。生きていることが何なのか、生きていくことが何なのかを考えることさえできない日々が続きました。

涙を越えて強くなるしかありません。

最後に被災地の私たちを支えてくださった多くの皆さん、日本全国、世界各国の皆さまに心から感謝を申しあげます。
皆さまからの温かな支援が私たちに気力と希望を与えてくださいました。

さしのべてもらったその手を笑顔で握り返せるように乗り越えていきます。

 

政府追悼式・宮城県代表の奥田江利子さん「涙を越えて、強くなる」 産経新聞
 
 

村岡美空さん 福島県の遺族代表
政府主催の「東日本大震災1周年追悼式」
 
「人の役に立つ事が好きで、優しかった父。私はこんな父が大好きでした」

稔真さんとは、小学校の前で偶然、会った。美空さんに家族の無事を確認すると、「消防団の活動に入る」と言い残し、車で海岸方面へ走り去った。これが最後だった。
美空さんはまもなく、稔真さんが向かった先の住宅地が津波に襲われ、海の底に沈むのを目の当たりにした。「父と連絡が取れず、心配でたまらなかった」。無事であってほしいという祈りは届かず、数日後、市内の遺体安置所で変わり果てた姿と再会した。

「お父さんのように、人のために働きたい」

「復興に向けて皆で力を合わせ、がんばっていきたいと思います」
力強く言い切った最後の言葉は、稔真さんへの誓い。こぼれる涙を、そっと左手でぬぐった。
 

「父が大好きでした」 福島県代表の村岡美空さん 政府追悼式 産経新聞
 
 

菊地将大さん
岩手県 陸前高田市 合同追悼式
 

「月日が流れるにつれて暗い気持ちのままではいけないと考えるようになりました。それは、失ってしまった人を忘れるということではありません。むしろ忘れることなく、その人たちの分まで生きようと気持ちを転換させることです。その『生きよう』という強い気持ちは、自分たちの未来をつくっていきます。そして、きっとこの街に明るい未来を取り戻すはずです」

 

岩手・陸前高田では県と市の合同追悼式 TBSテレビ
 
 

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