底引き網漁師の佐藤弘行さん(56)は妻に語りかけた。「けい子、俺は精いっぱいやっていくから」。30年以上支えてくれた妻を奪った海で再び生きていく決意を胸に。

けい子さん(当時51歳)を残して、津波が気になり浜へ向かった。

すぐそばの自宅が崩れていく。「お父さん、お父さん、お父さん」。自分を呼ぶ声を確かに聞いた。
翌朝、崩れ落ちた自宅で冷たくなったけい子さんを見つけた。傷一つないきれいな顔で、眠っているようだ。溺れたんじゃない。寒さで息絶えたのではないか。助けられなかった自分を責めた。
父の後を継ぎ、24歳から底引き網漁船の船長を務めた。乗組員はタラやカニを載せ、夜明け前に沖から戻る。それを市場で競りにかけられるよう選別し、計量するのが妻たちの仕事だ。けい子さんはその先頭に立ち、気配りも欠かさず経理の仕事も担った。船長の妻の背中は、乗組員たちの士気を高めた。

8年前にがんで胃を全摘出し、船の天井から点滴をぶら下げて漁に出た時、「漁師になるために生まれてきたような人間だなあ」と妻は笑った。今ならこう言われるに違いない。「弱音を吐くのはあんたらしくないよ」

 
東日本大震災:妻奪った海、再び漁で挑みたい…福島 2012/03/11 毎日新聞