岩手県陸前高田市で電器店を経営していた小島幸久さん(39)は、津波で両親と妻、娘の4人を失った。消防団員として地震直後から活動していたが家族を救えなかった。一人生き残った悲しみを抱えながら、仲間と犠牲者の収容や見回りを続ける。「俺はこの町で生きていく」。そう再起を誓っている。

出動前に立ち寄った自宅。妻の紀子さん(38)や父の捷二さん(69)、母のキミさん(62)に津波の危険を伝えていた。長女の千空(ちひろ)ちゃん(7)はより高台の小学校にいたはず。「家族はとっくに逃げている」。そう信じていた。しかし、どこの避難所にも姿はなかった。

仲間の消防団員が、自宅近くの車から4人の遺体を見つけたのは1週間後。「ごめんな」「寒かったべ」。泣き崩れ、道路脇に並べた妻と娘の名前を叫びながら一人一人抱き締めた後、添い寝させた。「離れ離れじゃなくて、みんな一緒で本当によかった」

震災前に応募した千空ちゃんの硬筆の作品が書道コンクールに入選し、家族みんなで展示会に行くつもりだったことを思い出した。一人で出掛けた盛岡の県民会館。「おじまちひろ」。頑張り屋だった娘が書いた名前は枠いっぱいに大きく、力強かった。
親子連れの姿を見ると「もし娘がここにいたら」と悲しみに押しつぶされそうになる。しかし後ろばかり見ているわけにはいかない。「家族が胸を張ってみていられるような人生を生き抜く。きっと見守ってくれている」。あすもまた、少しずつ、前に進もう。

家族4人のためにも…39歳消防団員「陸前高田で生きていく」 2011.4.18 産経新聞