岩手県陸前高田市立小友(おとも)中野球部の1~2年生8人は、避難所に指定されていた市民体育館に集まり、津波の犠牲になった。体育館に近づくことすらできない母親もいるが、紺野直子さん(41)と菅野豊美さん(43)は11日、お菓子や花束を手向けた。「早くここを取り壊してほしい。でも、壊されるまで何度でも来でやりてえ」

菅野さんの長男孝太君(当時14歳)は学校から帰るとカップラーメンをすすり、自転車で慌ただしく集合場所のコンビニエンスストアへ向かった。

菅野さんは男子中学生を見るのも嫌なのに、遺影を持って中学校総合体育大会へ行った。息子に試合を見せてやりたい一心だったが「三振したって、生ぎてるんだから、いいべっちゃ」。素直に応援できなかった。

11日、体育館を訪れた2人は遺体が見つかった3階へ上がった。時計の針は午後3時半のまま。津波に破られた壁を冷たい風が吹き抜ける。「上へ上へと、ここまで来たんだべな」。時おり涙をぬぐい、長い間そこにたたずんだ。
この1年、残された子供たちのためにも精いっぱいやってきた。でもあの時計の針のように何も変わっていない。ここに立つと、そう思ってしまう。
「めんこくてな、ほんとにめんこくてな。早く年取って、そばに行ぎたい。これからもずっと、そう思うんだべな」

 
東日本大震災:白球追った8人、まぶたに…岩手 2012/03/12 毎日新聞