お父さんのことが不安でした。車を運転しながら津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました。

津波から1週間。お母さんは、もうこんなに日がたっているのに、まだお父さんが見えないとあきらめていました。じいやんは泣いて「家も頑張って建てるし、おまえたちだってしっかり学校にいかせられるように頑張るから、お父さんがもしだめだとしても頑張るからな」と言っていました。

「ありがとう」の歌を歌っている時、お父さんに「お父さん、お父さんのおかげで卒業できたよ。ありがとう」と頭の中で言いました。そしたらなぜか、声がふるえて涙が少し出てきました。

拝んでいる時ぼくは「箱石家は頑張って継ぐからまかせて」と言いました。

「顔が水より冷たく…」 被災児童が日記 2011年4月25日 毎日新聞

父進一さん(享年49)を津波で失った箱石佑太君(12)は形見となった腕時計をはめながら「父の経営していた介護施設を継ぎます」と決意を語った。

「人を助ける仕事をしなさいとお父さんがいつも言っていました。だから僕は介護施設を継いでやっていきます」。人に頼られるようなしっかりした太い人間になれとの願いから「佑太」と名付けた父への思い。父の遺体の発見後からまだ6日しかたっていないのに、その思いを長男が手紙にしたためた。
進一さんは地元で介護施設を経営していた。地震直後に1度、安全な避難場所に逃げたが、安否確認のために再び施設に戻ったところを津波にのまれた。

マラソンが趣味の進一さんが佑太君とともに練習に励み、初挑戦で手に入れた勲章。この東京行きが父子最後の旅行になってしまった。

佑太君の腕には進一さんの形見となった腕時計があった。完全防水の愛用品で、遺体が見つかった際にも時を刻んでいた。これからは長男の腕にまかれて、残された妻、3人の子どもたちとともに時を重ねていく。

がれきの中から父の完走メダル 2011年4月1日 日刊スポーツ新聞